学生時代はクズでした
僕は今、大学の先生をしています。
大学の先生というと、小さい頃からマジメ一筋な博士キャラの人がつく仕事というイメージが強いかもしれません。
だけど、僕、実は大学時代、相当のクズでした。
最初の2年間は全っ然授業に出てなくて、留年してしまったので、卒業までに五年かかりました。
どうして授業に出てなかったのかというと、友達がいなかったからです。
最初はテニスサークルとバンドサークルに入って、1年生の友達が何人かできたんです。
ところが、この2つのサークル、どちらも半年も経たずにやめてしまいました。
人間関係に疲れてしまったのが原因だったと思います。
ちゃんと「やめます」も何も言わずにフェードアウトしてしまったので、キャンパスでサークルの知り合いに合うんじゃないかとドキドキしました。
2つのサークルに入っていたのだから、ドキドキも二倍。
バンドサークルはやめたけど、音楽は大好きでした。
密かに曲を作ったり、高校の頃からの唯一の親しい友人と、何回かバンドを組んだりもしました。
その頃、いろいろ楽器屋さんを巡っていると、ゲイリームーアというギタリストシグネチュアモデルギブソンのレスポールに惚れました。
ご存知の方も多いと思いますが、レスポールのお値段は結構高い。
特に学生だった自分の僕にとっては、本来ならば手が届かないはずのものでした。
ところが、何を考えたのか、気がついたらローンを組んで、そのギターを購入していました。
バイトも何もしていなかった僕は、それから慌てて近所のコンビニで深夜バイトを始めました。
深夜バイトには週三〜四で入りました。
昼間は寝て、夕方ごろノソノソと起き、自分の部屋のPCでウイニングイレブンをやり、時間が来たら深夜バイト。
そんな生活リズムで大学など通えるはずもなく、2年生の時にもらえた単位は、全部で2単位。
留年決定ですという通知が大学から届き、父親は目を赤くして、情けないぞと僕に言いました。
留学で人生がガラリと変わった
そんなクズ学生が勉学に目覚めたのは、留学の機会を得たからでした。
留年決定の通知がきて、ようやくこんな生活じゃダメだと気づき、何かしらの活動をしなければと、PCに向かいました。
しばらく調べているうちに、専攻が中国語だったこともあり、次第に中国留学に興味が湧いてきました。
とは言え、最初から長期留学するのは怖い。
ということで、旅行会社が主催していた2週間の北京語学研修プログラムに申し込みました。
お金は親が出してくれました。
今思えば、何の信頼感もないドラ息子が突然中国に2週間行きたいと言って、よく金を出してくれたなと思います。
これが僕の人生を大きく変えることになるわけなので、感謝しかないです。
語学研修は、2週間のコースと1ヶ月のコースがあり、参加者のほとんどが後者だったと記憶しています。
初めて触れた外国は、本当に異世界。
北京の街には、いろんな人がいました。
日本では考えられないような場面にもたくさん遭遇しました。
もともと実家の外で生きていく耐性がほとんどなかった僕は、こんな環境で生きていけるのかと不安でした。
しかし、2週間経つ頃にはすっかり楽しくなってしまい、気づいたらもう2週間延長して、結局1ヶ月のコースの人たちと合流していました。
語学研修に参加する前は、まったくといっていいほど話せなかった中国語が、帰国した頃にはだいぶマシになっていました。
3年生になった春、大学の授業にちゃんと出てみようと思いました。
恐々授業に出てみると、まわりの人たちは中国に行ったことのある人が少なくて、なんと僕が一番上手に中国語が話せるようになっていました。
お前が言うなと言われそうですが、大学生活の2年間、この人たちは何をしていてんだろうと、不思議な気持ちになりました。
その後、僕は中国文学に目覚め、卒論も古典で書き、大学院試験に合格し、修士課程、博士課程と順調に進学しました。
博士課程の時には、上海の復旦大学に2年間留学しました。
その時にも大きな転機が訪れます。
しかもふたつ。
ひとつは、教育関連の日系企業を立ち上げた方と知り合いになり、いまでも親身にさせていただいていること。
もうひとつは、その時に出会った四川省出身の女性と、3年前に結婚し、いまでは2歳の娘を育てています。
大学時代のクズ学生だった僕は、まさか自分が中国人女性(しかも美人)と結婚して娘(世界一かわいい)を育てることになるとは、夢にも思っていませんでした。
ましてや大学で中国語を教えることになるなんて、まったく予想できた人はいませんでした。
それもこれも、北京に語学研修に行ったことがきっかけです。
もしもあれがなければ、僕は大学の中国語専攻を卒業しても(そもそもできたかどうかもあやしい)、中国語も喋れず、今でも自信の無い人生を送っていたかもしれません。
「だけど」じゃなくて「だから」だ
僕は大学1年生の時に、道を踏み外しました。
言いたいことは「踏み外したけど、こんなに頑張ったぞ」ではありません。
むしろ「踏み外したからこそ、楽しくもがいて、ここまできた」ということです。
僕はいま大学で、アジアの民族音楽について講義したり、実際にアジア楽器を演奏したりしています。
研究室にギターやら民族楽器やらたくさん置いてあるので、毎日学生がそれらを触りにきます。
まだ若いからというのもあるかもしれないけど、学生たちは、確実に、この先生なんか変だぞと思ってます。
だからこそ、興味を持ってもらえてるんだとも思います。
道を踏み外したけど…ではなくて、道を踏み外したからこそ、今の僕がいて、学生との交流が生まれているんだと思います。
とはいえ、まだ若手ですので、これからどんどん頑張っていかなければならないし、大学教員が安泰というわけでもありません。
このご時世、来年あたり、大学が潰れているかもしれません。
でもそうなったら、また1つのチャンスかな。
もう一度道を踏み外すのもいいかなあなんて思っています。
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