はじめに
前回の投稿では「スキマ時間クリエイター」という楽しみ方を提唱しました。
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ざっくり言うとこれは、どんなに忙しくても諦めずに、何らかのクリエイター活動を楽しもうよという話でした。
今回は、もう一歩踏み込んで、自分がどうして創作活動をしているのか、なぜそれを続ける必要があるのか、そのあたりに向き合ってみませんか?
少し重そうな話題にも見えますが、結論はすでに日常の中に隠れているというか、自分探しの終着点は結局自分だったというか、とにかく身近なことを大事にしようという話。
〇〇クリエイター、◯◯ブロガー
とはいえ、僕のアイデアはシンプルで、「〇〇クリエイター」とか「◯◯ブロガー」の〇〇の中に、自分が日々追われていることを入れる。
それだけです!
たとえば僕の場合は…
子育てクリエイター
子育てブロガー
先生クリエイター
先生ブロガー
中国専門家クリエイター
中国専門家ブロガー
みなさんも色々あると思います。
別に仕事とか真面目なことでなくても、趣味とかでもいいと思います。
ドラマウォッチャーDTMerでもいいし、
ジョギング好きDTMerでもいいし、
お風呂好きDTMerでもいいと思います。
「代弁者」になろう
さて、なにかしら言葉が浮かんだら、
ここでひとひねりしてみましょう。
自分が「代弁者」になるならどの立場でしょうか。
「子育てDTMer」の例で言えば、
- 自分(父親として?夫として?)
- 妻(母として?妻として?)
- そして娘の立場
「学校の先生DTMer」でいえば、
- 学生にとっては先生な自分
- 職場でいえば下っ端な自分
- 学生(色々な立場があります)
「中国語DTMer」でいえば、
- 国際恋愛・結婚の人たち
- 英語は苦手だけど中国語なら頑張れるという学生
- 中国古典神話の中の誰か
仕事でなくて趣味を選んだのであれば、
それに没頭しているときの心の動きとか、
そういったものを原点にするといいかもしれません。
歌詞を書くのなら、
その立場の人の言葉を代弁するつもりで。
曲を書くのであれば、
彼らの心や空気を代弁するつもりで。
こんなふうに考えてみると、
創作活動とは関係ないつもりでいた仕事も、
音楽表現の糧になっていく気がしてきませんか?
まとめ
さまぁ〜ずの三村さんが言っていましたが、
「大人はみんななにかのプロ」
せっかく仕事で頭や心を使っているのだから、
あるいは没頭できる趣味があるのであれば、
色々観察して、創作のタネにしてしまいましょう。
僕は「子育て DTMer」であり、
また「学校の先生DTMer」であり、
そして「中国研究DTMer」であることを、
創作活動の動力にしていきたいと思います。
特に、学校では色々な学生と触れ合います。
彼らから学んだことが山ほどあるんです。
でもこれは少し長くなるので、
また次の機会にお話ししたいと思います。
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